鹿又賢司さん 東京都在住 昭和32(1957)年生まれ 血友病A(重症)
鹿又賢司さんはベテランの塾講師。受験生や資格試験合格を目指す社会人を対象に、主に小論文の指導をされています。
2020年からは大学の非常勤講師も担当されることになり、英語に続いて中国語にもチャレンジされています。
*2024年10月改訂
重症型血友病Aと診断されたのは4歳のときでした。幼稚園で高いところから落ちて鼻血が止まらなくなったのが診断されたきっかけだったそうです。当時はまだ血液製剤はなく、出血したら病院で輸血をしてもらっていました。中学生になったころには血液製剤が使われるようになっていましたが、安全性を考慮して繰り返し大量に使用しないほうがよいと説明を受けていました。出血したら病院で1回注射をしてもらいますが、軽い出血なら注射は打たずに自宅で安静にしているだけということも少なくありませんでした。
2015年秋ごろから、2日に1度の定期補充を始めました。出血をコントロールできるようになり、いつ出血が起こるかという不安から解放されて毎日心穏やかに暮らせるようになりました。こんな日がくるとは思いませんでした。血友病の治療はこの数十年の間に本当に大きく変わったと実感しています。
小学2年生のときに学校の廊下で壁に頭をぶつけて脳内出血を起こして1カ月間昏睡状態に陥るという九死に一生の経験をしましたが、その後しばらくは大きな出血はありませんでした。
小学4年生になると関節出血が始まり、あちこちの関節から出血が起こるようになりました。中学生になるころには、両膝、足首、股関節、肩、肘と、あらゆる関節で出血があり、痛くて眠れない夜が何度もありました。
現在のように血液製剤を必要なだけ繰り返して使う治療ができなかったので、十分な止血ができないまま出血を繰り返したことで、ほとんどの関節が伸ばせなくなってしまいました。
血液製剤に対するイメージが大きく変わったのは20年ほど前、内臓出血が原因で腸間膜にできた血腫を取り除くための手術を受けたときのことです。
医師からは事前に「製剤を投与しながら手術をするので心配はいらない」と説明を受けましたが、子どものころから「血友病の製剤は大量に使用できる薬ではない」と聞かされていましたので不安でしかたがありませんでした。ですが手術は無事に終わり、その後の回復も早く、2~3週間で退院することができました。
このときに、必要なときに必要なだけ製剤を使うことができる時代になったことを実感し、また注射器も以前に比べるとすごく小さなものになっていることを知り、それまで踏み切れずにいた自己注射を始める決心がつきました。
自己注射をするようになってからも出血は頻繁で、1カ月のうち10日以上は出血がありました。そのたびに注射を打っていましたが、止血するまで何度か繰り返し注射が必要なことも少なからずありました。
そんなとき、主治医の先生から「出血のたびに注射をするぐらいなら、予防的に打ってみませんか。(出血による)痛い思いをすることもなくなりますよ」と定期補充を勧められました。定期補充を始めてから、関節出血も、ほかからの出血もありません。とてもうまくコントロールできています。現在は2日に1回3,000単位製剤を補充しています。
定期補充を始めて出血しなくなると、日常的な活動量も増え、自然に筋肉もつき、体重も15kgほど減りました。出血を気にせずに動けるようになってからは、意識的に体を動かすようにしています。
トレーニングマシンを使って筋力トレーニングをしたり、自宅でストレッチをしたりヨガのポーズを真似てみたり、自己流でいろいろ試しています。体重が減ると足関節への負担も減り、さらに動けるようになりました。
余裕があるときは、通勤時に一駅分の道のりを15分ほどかけて歩くこともあります。
以前は部屋の片づけをしても出血していましたが、いまでは掃除やゴミ出しや洗濯など、日常生活に必要なことは何でも自分でできるようになりました。こうした日常の動作もよいリハビリになっていると感じています。
出血の心配がなくなって、気持ちの面でも自分は大きく変わったと感じています。
いまは一人暮らしをしていますが、洗濯をして干して取り込んで、買い物に行って食事をつくり、翌日の段取りを考えて仕事の準備をする・・・そんな普通の生活が楽しくてしかたありません。これまで病気のためにできないことがたくさんあって、「自分のことすらまともにできない」というコンプレックスをいつも感じていました。でも、いまは違います。
出血を繰り返していたころは、出血の心配がなくなったら「あれもしたい、これもしたい」という思いがあふれてくるんじゃないかと想像していましたが、いまはこの穏やかで普通の生活をゆっくりと楽しみたいという気持ちが強いです。もう少しのんびりしたら、新しくやりたいことが出てくるかもしれませんね。それも楽しみです。
最初の取材から4年、その後について伺いました
数年前には不可能だった「やりたかった」ことに取り組める自信がつきました
定期補充療法を開始し体調が安定して体力的にも余裕が出てきたので、英語の学習を再開しました。仕事面でも予備校や塾の仕事をしつつ、某大学附属高校で非常勤講師をさせていただくことになりました。また定期補充療法ができるようになって、仕事以外のことにも継続して取り組める自信がついたので、2019年からは中国人の先生について中国語も習い始めました。幸い、中国語は自分にとっては英語よりも相性がよいようで、先生に中国語検定を受験する許可をいただけました。
このようにさまざまな仕事の機会をいただけたり、数年前には不可能だったことに少しずつ取り組めるようになってきたのも、最新の製剤と治療法のおかげだと思っています。いまが一番心身ともに安定していて、コントロールができる状況ですので、年齢を意識することが日に日に希薄になってきました。
物心がついてから、いまが自分の人生で一番、やりたいことをやりたいように取り組むことができています。その意味では、自分の人生はようやく始まったばかり、遅まきながらいまになって青春期がやってきたように感じています。
出血コントロールのおかげで、このように精神的な安定と自分に対する自信が得られたのは、何よりもありがたいことだと思っています。今後も自分なりに地道に一歩ずつ進んでいければと思っています。
出血する心配をせずにやりたいことにチャレンジができる自信がつきました、と鹿又さん
東京医科大学 臨床検査医学分野 教授 天野 景裕 先生
鹿又さんを主治医として担当するようになったのは2015年の9月ごろでした。当時の鹿又さんは出血時投与をされていましたが、月に8~9回出血しており、そのたびに製剤を投与していました。「痛いから注射をする」「痛みが強いから今日は2回注射をする」と、量も回数も多く投与されていました。
そこで、「同じ量の製剤を注射するのなら、出血してから注射するよりも、定期的に注射をすることで出血をしないようにしたほうがよいのではないか」と定期補充への切り替えを提案しました。「出血しないようにすることで関節もよくなっていくはずだから」と説明しましたが、「出血していないのに注射をするなんて、自分にとってはありえないこと」と最初は強く抵抗されました。
そんな鹿又さんの気持ちを変えるきっかけとなったのは、リハビリへの取り組みでした。関節症対策の一環として筋肉量を増やすためにリハビリを勧めたところ、「やってみる」という返事が返ってきたので、「運動すれば出血の可能性が高くなるから」とリハビリの日に合わせて予防投与をすることにしました。実際に運動をしても出血しなかったことで予防的に製剤を使用することのメリットを理解するとともに、出血していないときに注射をすることへの抵抗感が和らいだのでしょう、定期補充を始めることに同意してくれました。
3,000単位製剤を1日おきに定期補充するようになると、2,000単位製剤を出血のたびに注射していたころに比べて、1カ月の製剤の総投与量はかなり減りました。本人も、以前のように毎日注射をする必要がないこと、出血しないときに注射をしたほうが効率的に製剤を使えるということを理解・納得された様子でした。関節出血がない状態が続くと関節へのダメージも減り、痛みや出血感からも解放されたことは、彼にとって何よりも大きな喜びだったと思います。
鹿又さんは、定期補充を始めて出血への不安がなくなり安心して日常生活を送れるようになったご自身の体験について、「広く伝えたい。とくに自分と同世代の、まだ定期補充に踏み切れていない人たちに知ってほしい」と話してくれました。血友病の専門医として、この言葉をとても嬉しく思っています。一人でも多くの患者さんが定期補充を始めることで、安心して充実した毎日を送れるようになることを願っています。
あとがき ~ 体験談の取材とその後について~
「定期補充は自信の補充」でもあることを
鹿又さんは教えてくれました
鹿又さんの体験談は、血友病患者さんにとって「定期補充は安心の補充」という言葉を私に強く印象付けてくれました。そして、定期補充に踏み切れない患者さんに、紹介させてもらっていました。
今回、その後の取材で、次のステップへ進んでいこうとする彼のとても前向きな言葉を聞けて、患者さんの人生によい形で関わることができていることを血友病専門医として幸せに思います。
「定期補充は自信の補充」にもなるのですね。
※一部を除き、数字、組織名、所属、肩書等の情報は2024年10月時点の情報です。
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